2016-10-28
2016ITUロングディスタンス世界選手権報告
琴浦町のドクターアスリート・青木哲哉会員より9月にアメリカ・オクラホマで行われたITUロングディスタンス世界選手権のレース報告が届きました。
厳しい環境の下、日本代表として健闘されました。
お疲れ様でした。
2016 Oklahoma ITU Long
Distance Triathlon World Championships 参加報告です。
去る、9月24日アメリカオクラホマシティで開催された、ITUロングディスタンストライアスロン世界選手権に、鳥取県トライアスロン協会から推薦して頂き、日本トライアスロン連合の承認のもと参加させていただきました。その競技報告をさせて頂きます。
大会名 2016 Oklahoma ITU Long Distance Triathlon World Championships
開催地 オクラホマ州 USA
開催日 H28年9月24日
競技距離 スイム 4km バイク 120km ラン 30km
参加者 エリート男性 36名 エリート女性 22名 エイジ男性 367名 エイジ女性 222名エントリー
総合成績 8時間8分38秒 (99位、エリート、エイジ合わせて) スイム1時間29分40秒(150位) バイク 3時間43分39秒(104位) ラン2時間52分51秒(119位) 45-49歳カテゴリ順位 11位
性別順位78位 男子完走率81.3% 女子完走率 83.4%
このたびこのような貴重な経験をさせて頂き、鳥取県トライアスロン協会の皆様に感謝申し上げます。この大会に参加して痛感したことは、トライアスロン競技というのは自分との戦いであると同時に自然との闘いだということでした。
日本では安全を考慮してスイムオフにするような場合であっても世界選手権というだけありそんなことお構いなしの大会でした。私のレース経験の中でも印象に残る大会となりました。
これからも、鳥取県トライアスロン協会として推薦して頂き、参加されてみてはいかがでしょうか。JTUが承認しなければなりませんが、代表チームに入ると、JTUのオフィシャルツアーが企画されます。JTUからマルチプルスポーツ委員会委員長の中島靖弘さん、メカニックとして大西祥司さん、通訳の方が随行されていました。そのため英語が出来なくてもかなり参加しやすいと思いますよ。皆生は世界選手権の選考レースとなっておりませんが、皆生のレベルの高さを実感することが出来ました。是非とも我こそはという方がいらっしゃることを期待しております。
アメリカ訪問直前に日本トライアスロン連合(以後JTU)より衝撃の連絡がありました。それはITUのルールでは、スイムにおいて水温24.6度以上であればウエットスーツ禁止となるとのことでした。
私は6月頃、JTUにエイジグループのウエットスーツルールについて確認したところ、エイジは原則ウエットスーツ着用義務との回答を得ており以後ウエットスーツを着用しての練習をメインに行っていました。
今更何を言ってるの!!と思いましたが、ルールに従うしかありません。それも4㎞泳がないといけないのです。
大会前々日、前日と2日間試泳をしたところ、湖にとんでもない非常に大きな波が立っているのです。皆生トライアスロンであればスイムオフとなるような波です!!試泳した際に、本番この波でウエットスーツなかったら死人が出るぞと思うような波なのです。この大会の最も重視しなければならない種目は明らかに水泳だと思われました。
そして当日。午前7時28分エリートからウエーブスタートとなりますが、日の出時間はなんと7時17分。バイクセッティングの際、空は真っ暗で大会側が明かりを用意してくれてましたが、タイヤに空気を入れる際、空気入れの目盛りは全く読めませんでした。このような時期に大会に参加される際は是非ヘッドライトを準備されることをお勧めします。7時にno wetsuitのアナウンスが会場に流れました!日本選手からはunbelievable!!の声が。僕も覚悟を決めましたが、家族と別れてからは笑顔がなくなりました。去年、オーストリアで開催されたIronman 70.3mile World Championshipで溺れかけPTSD(心的外傷後ストレス障害)となっていましたためでした。そんな弱気ではダメだ!死んでしまうぞ!その気持ちに打ち勝つため真剣モードに入りました。
スイムは片道直線1キロのコースを2周回するものでした。しかし1㎞の間にブイがたった3個しかありません。さらに広大なアメリカらしく全く目印がないのです。行きは波に乗って行くことができます。この波がここ3日間の中で最も高く、体が1m以上浮き上がるような波でした。復路はこの波に逆らって泳がなければなりません。全く進んでいる実感がなく、まるで嵐の中を泳いでいるようでした。まさに波との死闘でした。後に判明したことですが、世界選手権でありながら86人の日本選手団のうち男性5名、女性5名がスイムでリタイアし、私のカテゴリでも47人中10名がスイムリタイアしていました。このリタイアの多さがスイムの厳しさを表現していると思われました。2週目、往路は大きな泳ぎで余裕をもって泳ぎ、復路は波に負けぬよう力強く泳ぐことを意識しました。スイムアップした時の安堵感はそれは大変なものでした。
バイクパートに移りました。バイクの距離は120キロ(実際には123㎞ありました。)コースは南北に各40キロ設定してあり、うち20キロを2周回すると考えて頂くとわかりやすいと思います。ほとんど平坦ですが、波打つアップダウン(上り勾配最大3%程度)がありました。最大の難敵は風速14m/sの強烈な風が南から北に吹いていました。そのため行きは良い良い、帰りはシンドイ状態でした。バイクでの作戦はバイクでかなりの余力を残して、ランに移りランをキロ5分で走破するという作戦でした。
行きは良い良いでペダリング効率を重視して時速45キロ巡行できるほどの追い風です。しかしながら向かい風では時速30キロを切ってしまいます。それでも、この大会に向けて仮想ITUコースを国道9号線の赤碕、名和間に設定して向かい風のトレーニングと中山の逢坂、赤碕の坂之上の坂もDHポジションで登る練習が生き、かなり余裕をもって走ることができました。さらに日本人選手には追い越されることなくバイクパートを終えることができました。
ランコースは湖畔を走る10キロ×3周回のコースでした。全くの平坦で行きが向かい風、帰りが追い風となります。
予定通りキロ5分で最初の10キロを終えて帰ってくると日本選手の友人が「日本選手のエイジで1番だよ!」と教えてくれました。俄然これに気をよくして2周目に入ることができました。12キロから後ろから追いついてきたアメリカの選手がピッタリと後ろにつき僕を風よけとして走ってきました。そこから彼とデッドヒート(といってもキロ5分ですが!)。抜きつ、抜かれつを演じていました。
これまで私はエイドで立ち止まることなくスピードを落とさずに水、ゲータレードを補給して走るのに対して、彼は少しスピードを落とすようでエイドで少し離れるのですが、その後追いついてきます。この調子で彼とランデブーしていけると良いタイムが期待できるぞと思いながら走っていました。15キロ過ぎのエイドで彼の姿がなくなりました。
ところがその直後から私は腹痛をもよおしてきてしまいました。腸管の中で水様物が一歩一歩足を進めるごとにタプン、タプンと揺れ動くのがわかるのです。そこからトイレまでの時間はそれは途方もなく長い時間でした(笑)まあそのような状況でしたのでペースダウンも余儀なくされてしまいました。おなかの調子は戻ってきましたが、一度落ちたペースは戻りませんでした。さらにフラフラとしてきていることを実感しました。エネルギー切れだとわかりました。
エイド毎にバナナかオレンジを摂り、コーラを飲みました。ところがまた、おなかがタプン、タプンいいはじめまたもやトイレ休憩となりました。私のGPSウオッチは20キロ手前でローバッテリーとなってしまいもはやペースを評価できず、ただ淡々と走り続けました。27kmからは心が折れそうになりました。全く体が動かないのです。
しかし、妻が用意してくれた国旗に多くの患者さんが激励の寄せ書きをしてくれたこと、それをもって家族が待っていてくれることを考えながらゴールを目指しました。なんとかゴール直前まで来ました。そこで妻が国旗を渡してくれました。
患者さんの思いと一緒にゴールできたことが最高の喜びとなりました。